コロナという神学論争

コロナの第三波がやってきた。東京都内では、アルコール類を提供する飲食店への時短営業がまた要請されている。もう従わないという店もけっこうあるようだ。それを「気の緩み」とか「コロナ慣れ」とか批判する声もあるが、都内の飲食店の家賃がいくらなのかを考えれば?と言いたい。協力金40万円もらってなんとかしのげる小規模の個人店ばかりではないだろう。ましてや人を雇っている店はどうにもならない。雇われている人もどうにもならない。コロナで死ぬ前に・・・、それは言いたくないから言わないけど。なんとかみんな生き延びてほしいと願っている。

 

その一方で、Go toトラベルの東京都の除外さえも宙づりのままで、満員電車は走り続けている。恩恵を受ける人も、受けない人も、等しく感染する恐怖にさらされているが、スガ総理大臣は、Go to事業が感染拡大の原因だという「証拠がない」といい、責任を逃れようとするばかりかまだまだこの政策を続けていこうとしている。二階幹事長の大事な利権だから必死だということだ。たしかに今は第二波のときとは違って、感染経路不明が半数以上を占めている。「夜のまち」を叩けば済む事態ではないのに、あいかわらず「夜のまち」ばかりを迫害している国や都は完全に思考停止だ。高い家賃を払いながら1杯何百円で酒やつまみをせっせと提供している都内の居酒屋さんが束になってかかっても、自民党の幹事長や政治家様たちを満足させる献金など払えるわけもないではないか。だからって、「小の虫」扱いをして、「証拠がない」にもかかわらず「夜のまち」を感染源に仕立て上げるのは、ひどすぎる。

 

コロナは春のクルーズ船あたりから極端な意見がつねに対立してきた。これは日本だけに限ったことではない。コロナはただのカゼだと言う者もいるし、中国が世界を滅ぼすためにまき散らした細菌兵器であり中国の戦争犯罪だという者もいる。検査を増やすなという強硬派、増やせという強硬派の対立も続いている。感染者の激増は検査を増やしたせいだというのもある意味では正しいし、重傷者や死者は全人口のわずか数パーセントにすぎないのだからもう感染症指定をはずしてしまえという声も聞こえる。現実にはすでに医療崩壊の一歩手前まで逼迫している医療機関。過労死ラインを超えている保健所や担当部署の職員たちなど、現場の悲鳴。小林よしのりは、気楽なところから気楽に逆はりビジネスに精を出している。彼の影響も無視できない。

 

ゴーマンかましてよかっぺか?

 

コロナは神学論争ではない。

見えない悪魔と闘う神なき聖戦ではない。必要なところに、必要な手当をしながら、必要な努力をするべきではないのか!左翼嫌いも、中国嫌いも、おまえらだって感染するかもしれない。ウイルスは人を差別しない。人間が人間を差別しているだけなのだ!